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大塩町について

みやけ医院のある、兵庫県姫路市大塩町についてご紹介します。

みやけ内科のある大塩町の紹介

我が町、大塩には誇れるものが3つあります。

まず第一は海(写真01~03)と塩田の歴史、第二は兵庫県の重要無形民俗文化財にも指定されている獅子舞と大塩天満宮の秋祭り、第三は県花のじぎくの最大の自生地の3つです。

大塩の海
写真01大塩の海

大塩の海
写真02大塩の海

大塩の海
写真03大塩の海

まず塩田の歴史について簡単に紹介します。

塩田の歴史
写真04塩田の歴史

塩田の歴史
写真05塩田の歴史

塩田の歴史
写真06塩田の歴史

大塩の塩田の歴史は、奈良時代までさかのぼることができます。当時の高僧行基は飢餓と生活に苦しむ人々を救済するために諸国を廻りました。我が国の塩造りは、天平時代(700年代)に行基が近隣の的形に塩浜をつくったのが始まりであると記録が残っています。その製法は釜で塩を焼くことを教えたとあります。製塩は東の大塩、西の木場・白浜、赤穂に拡大し、やがては瀬戸内海沿岸に広がっていきました。

江戸時代に入ると当時瀬戸内海塩業の中心であった的形と高砂荒井塩田との交流を行いながら塩業を発展させてきました。江戸時代赤穂塩田の開発には、的形、大塩、荒井から人員を派遣し、指導のもとに行われました。製塩の技術も江戸時代の入浜式塩田から昭和時代の流下式塩田と変化していきました。製塩の生産技術はさらに進み、広大な塩田を必要としないイオン交換樹脂膜法が開発されるにいたり、大塩の製塩業も縮小の一途をたどり、ついに昭和46年完全に廃止されました。このように大塩の歴史は塩業とともに歩んできた歴史といえるでしょう。現在の高齢者には、何らかの形で塩業との関わりを持ってこられた方が、まだ多くいらっしゃいます。

大塩町の散策

大塩町にお住まいの山本 幸雄様の発案、大塩公民館の皆様のご協力で「大塩町の散歩道」という観光マップが出来上がりました(イラスト1)。イラストはO.H.様によるものです。

大塩の散歩道
イラスト1大塩の散歩道

大塩町にはその他にも名所・旧跡があり、広報ひめじに掲載されました。紹介させて頂きます(イラスト2)。

再発見ちょっといい姫路(広報ひめじより)
イラスト2再発見ちょっといい姫路(広報ひめじより)

「毛獅子とのじぎくの里-大塩の名所と史跡」の詳しい地図と説明は、山陽電車大塩駅下車すぐ南(徒歩約3分)の大塩公民館(079-254-3178)までお問い合わせ下さい。

大塩の名所と史跡(1)
イラスト3大塩の名所と史跡(1)

大塩の名所と史跡(2)
イラスト4大塩の名所と史跡(2)

山本 幸雄様の「日笠の山ののじぎくに」と題した随筆文を頂戴しました。のじぎくを愛する気持ちが伝わってきます。

「日笠の山ののじぎくに」山本 幸雄

姫路には日本一が二つある。一つは国宝姫路城、もう一つは大塩ののじぎく。元のじぎく保存会会長の守谷利永さんが、数年前に大塩の各種団体と姫路市長との懇談会で言われた言葉である。 植物分類学の父といわれる牧野富太郎博士によって、約八十年前の大正十四年に日本一の大群落との折り紙が付けられたのじぎくも現在は激減している。大塩の山々が、秋になると真っ白になったという話しもいまや伝説化してきた。 自治会、保存会、他小学生にいたるまで、多くの人々が育成に注力をされているが、効果が上がらず、昔には程遠い状態である。
今年の三月に、理由あって山歩きを始め、日笠山の中腹を開墾し、四月に山好きの仲間が集まりのじぎくの苗を植えた。

土壌が適していたのか、順調に成長してきた。 手入れの合間に、道沿いの小さな自生の苗を見つけ、その周辺の草刈りを続けたところ、十数箇所で小さな群生が目立つようになった。 山仲間の長老から、日笠山のじぎく散歩道と命名をしてもらい、復元された絶景の夫婦岩展望台とを併せ、「マップ」を作った。 作成に当たって、多くの人々から協力と助言をいただき感謝している。

地元で開花を楽しみにしている方々や、県内だけでなく遠く県外からも鑑賞に来られる方々にも役に立てればと思っている。 山は草との戦いであると山仲間から言われたが、相手は実に強敵で苦戦をした。山道を歩きやすくするために、年に何回も草刈り機で苦闘されている方々には頭が下がる。育てているのじぎくが無事に咲いたら、共に汗した仲間が集い大塩名物の関東煮とおにぎりで祝杯をあげ、喜びを分かち合いたい。

今後も、毎日一時間の山歩きを心がけ、「白い日笠山」をめざし皆で県の花を増やしていきたい。

「のじぎく作り二年目をむかえて」山本幸雄

去年から始めた、日笠山ののじぎく作りは、今年になって、一段と加速がつきました。山仲間も倍増し、一月からの株分け、四月の植栽、.五月からの草との戦い等を経て、十一月の開花をむかえました。

株分けした一本の古い株から、多くの新しい芽が成長し、自生の群生も大きく広がり、これらが開花し、「のじぎく散歩道」の名にふさわしい、白い花が続く、なだらかな坂道になってきました。

夫婦岩展望台にも、たくさんののじぎくの自生が見られ、ハイカー達の休憩ベンチに憩いを与えてくれています。四十年以上も竹林に覆われ、日の光も風も当たらなかった場所から、竹の伐採から二年たってのじぎくが芽を吹くという、植物の生命力の強さに感動を覚えます。

最上稲荷前に植栽した苗木も、手入れが行き届き、そのできばえが非常によく、さいじょうさんの玄関前を飾っております。

六月末から、山仲間達が、日照時間を人為的に短くして、花を早く咲かす短日処理テストを散歩道で始めました。九月末に開花し、早咲きののじきくが、道行く人々の目を楽しませてくれました。明かりと開花の関係が実証されました。

十月には、あずまやも完成し、雨水確保、農具収納、休憩、話合いの場等、今後のじぎくを増やす拠点が出釆上がりました。
又、大塩サービスセンター所長や公民館長他関係者のご尽力で、日笠山登り口の岩神社と延命地蔵に説明看板が敢りつけられ、歴史街道の重みが付加されました。

何年も前から、大塩ののじぎくを支えてきた馬坂峠は、参加者達の努力で、さらに充実し、見違えるような見事な散歩道になっております。女性達の植栽参加、苦闘の草刈りによる自生のじぎくの育成、畑ののり面を利用した懸崖作り等、峠を越えて、大塩から牛谷まで続く散歩道は、姫路と高砂との新しい橋が一本できた感じがします。

公民館前の保存園や、駅南大通りの並木の下も、順調に成育しましたが、残念なのは、のじきくの里公園です。各種団体の努力にもかかわらず、永年その成果が上がりません。観光バスも近づける好立地で、姫路市ののじぎくのシンボルゾーンとして、位置づけられているこの公園に、豊かなのじぎくを咲かせることが急務です。衆知結集して、のじぎくが育ち咲くための設備面の改善と、人的な協力態勢を整えることが必要と思います。

のじぎくの里公園を中心にして、馬坂峠と日笠山が競いあい、さらに磨きをかけ、名実共に「のじぎくは大塩」という評価を不動のものにしたい。

大塩の皆様方に一人でも多く、日笠山と馬坂峠のじぎくのできばえを見て頂き、ご意見や、助言を賜わりたい。地元の山好き畑好きの仲間たちが、額に汗して作り育てたのじぎく散歩道を…

「 日笠の山ののじぎくに」山本幸雄

山仲間たちと、のじぎく育てをはじめてから三年がたちました。
日笠山、夫婦岩、馬坂峠を巡るのじぎく散歩道は、飛躍的な広がりを見せ、名実共に県下一ののじぎく自生地になってきた。

山仲間たちの額に汗した、たゆまぬ努力が、山々を訪れる人々に、感動を与えるものと確信している。
のじぎくの里公園や、大的中東側の「みよ跡」、清勝寺山トンネル西側等、山登りの苦手の人々にも、車の中からでも鑑賞できる、のじぎく名所が復活した。

のじぎく保存会長を兼ねた、伊藤連合自治会長のリーダーシップと、役員の方々や、苗つくりや植栽、草引き、整地等に参加協力された、多くの 方々に拍手したい。

今年は、国体が五十年ぶりに兵庫県で開催された。姫路市の校区夢プランとして、日笠山と大的中学校で短日処理をおこなった。熱意と努力が実 を結び、約2か月早く開花し、のじぎく兵庫国体に花を添えた。
大塩小学校、大的中学校の全校生徒も山に登り、苗植えに参加してくれた。一本も枯らす事なく、山仲間達が見守りつづけた。

わが町、大塩には誇れるものが三つある。第一は海と塩田の歴史、第二 は獅子舞いと天満宮の秋祭り、第三は県花のじぎくの最大の自生地。これは、みやけ内科三宅良平先生のホームページ「大塩の紹介」である。嬉しい紹介である。

秋祭りも終わり、大塩の山々の、のじぎく散歩道が開花で真っ白になったとき、小学校の生徒達に山に登ってきてもらい、眼下に広がる海と塩田跡と、大塩の町並みを眺めながら、声高らかに校歌を歌ってもらいたい。

♪南に望む瀬戸の海……♪♪日笠の山ののじぎくに……♪(平成18年10月)

秋祭りの屋台練りと獅子舞について

10月になると播州一帯では、あちこちで秋祭りが行われます。
10月14・15日の2日間は待ちに待った大塩天満宮の秋祭りです。9月の中旬から獅子舞、屋台の太鼓たたきの練習など、祭りの雰囲気は徐々に盛り上がっていきます。町内は練習の笛・太鼓の音があちこちから聞かれ、町は大人も子どもも祭りの話し一色で塗りつぶされます。

祭り当日は豪華絢爛な6つの屋台が豪快な練り合わせを行います。また県重要無形民俗文化財にも指定されている華麗な8つの毛獅子の舞が行われます。獅子はふつうの神楽獅子と違って、全身が熊の毛で覆われた荒獅子で、舞い方は大きく分けて舞ながら練り歩く「道中舞」とその場で舞う「地舞」があります。当日は町内外から多くの見物客が訪れ、また各家々も里帰りの家族や遠来の客などでにぎわいをみせます。一年が秋祭りで始まって、秋祭りで終わるといっても過言ではないでしょう。

毛獅子
写真7毛獅子

毛獅子の舞
写真8毛獅子の舞

毛獅子の舞
写真9毛獅子の舞

毛獅子の舞
写真10毛獅子の舞

豪華絢爛な屋台
写真11豪華絢爛な屋台

豪華絢爛な屋台練り
写真12豪華絢爛な屋台練り

豪華絢爛な屋台練り
写真13豪華絢爛な屋台練り

豪華絢爛な屋台練り
写真14豪華絢爛な屋台練り

灘のけんか祭り として有名な秋祭りは、江戸時代末期の白浜松原天満宮の秋祭りが始まりで、近隣に広がっていきました。昔は塩田で鍛えた力自慢の若者がたくさんいて、2トン近い屋台を軽々と持ち上げていました。そのころは屋台の練り方も上手で華麗に練られていましたが、最近はそううまくいくとは限りません。

昔の屋台練りの様子
写真15昔の屋台練りの様子

昔の屋台練りの様子
写真16昔の屋台練りの様子

このような秋祭りを維持するためには、多くの人の協力が不可欠ですが、昔ながらの連帯関係(連中、連中頭、世話人、清書元)が色濃く残されています。

県花、のじぎくについて


県花、のじぎく
写真17県花、のじぎく

県花、のじぎく
写真18県花、のじぎく

のじぎくは明治17年に、日本の植物分類学の父といわれる牧野富太郎博士が郷里に近い高知県で発見し、命名しました。

大正14年の秋に牧野富太郎博士を招いて、姫路から大塩までの植物を調査したときに大塩でのじぎくの大群落を発見し、博士によって日本一の大群落との折り紙が付けられ、このことが各雑誌に発表され一躍有名になりました。昭和30年県花と決められました。

その後、開発とともにのじぎくも徐々に姿を消しているのが現状です。一方では保存活動も行われており、大切に保存したいものです。

参考文献:
 大塩公民館郷土史編集委員会編:郷土史大塩に生きる人々(1995)

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