Excuse me. とSorry
アメリカ社会では Excuse me. と Sorry はとくによく耳にします。
すれちがいざまに言ったり、体がふれたり、追い越したりするときには、必ずと言っていいくらい Excuse me. か Sorry です。それと目が合ったときにはニコリと笑顔を交わしたり、Hellowと気軽に言い合います。
アメリカでは小さいころから Excuse me. と Sorry は教育されているようで、どんな人、どんな子どもでも口にします。知らない人通しが Excuse me. Sorry と言い合ったり、笑顔で挨拶を交わすのはたいへん気持ちのよいものです。
アメリカにいるときには自然に口に出ても、日本に帰るととたんに忘れてしまうのも不思議な気がします。その理由を考えてみるのですが、アメリカでは Excuse me. や Sorry には No problem. と返事があったり、笑顔には笑顔、HellowにはHellowと何らかの反応があるからではないでしょうか?
日本では「失礼」「申し訳ありません」と言っても無言か無表情のお返ししかありません(もちろん人によりますが)。これでは何も言う気になりません。アメリカではあれほど自然に口に出た Excuse me. と Sorry も2,3日で忘れてしまいます。
さてアメリカ人が Excuse me. と Sorry と言うT.P.O.はあるのでしょうか?
アメリカはよく言われるように個人責任の国です。何でもかんでも Excuse me. と Sorry と言っていると、本当は自分の責任でもないことにすべて責任を負わされてしまいます。また自分に過ちがあることをうっかりと認めると、あることないことまで責任を負わされたり、補償を求められることになりかねません。
日本では過ちをすぐに認めて償うことは美徳のように思われていますが、アメリカでは軽い気持ちで過ちを認めるとすべて悪いと思われてしまいます。
個人的な経験ですが、アメリカ滞在中に子どもの予防接種を受けました。ナースに注射を受けた瞬間、彼女があっと声をあげました。予防接種を間違えたのです。すぐに過ちを指摘したのですが、彼女は絶対に過ちを認めませんでした。日本に帰ってしばらくしてから、子どもはしっかりとその病気にかかりました。
アメリカ人は社交辞令としては Excuse me. と Sorry をよく言いますが、本質的な点ではかなりsevereで容易に過ちは認めません。日本人が表面的には無愛想でも、本音を言えば分かってもらえると考えているのと大きな違いです。
アメリカ人は小さいころから学校でdebateの時間があり、自分の意見を述べる練習を重ねています。彼らは自分の意見をはっきり述べることができるように、いわば理論武装をしながら暮らしていると思えることがあります。
あいまいを良しとする日本人が、このような社会に容易に溶け込めるとはとうてい思えません。日本人が世界に出るときには、自分の意見をはっきりと主張できるように、準備しておく必要があるでしょう。
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